capacity
2020.12.27
何となくくすぶっているモヤモヤ。原因はこれだよね。
私、何かまだ誤魔化しているよね...ええ、自覚はあるのです。
何だろうと眺めていたら、最近氣になっていたことを思い出しました。
私、たくさんの食べものを前にしたら喜ぶより困るのです。
自分自身の胃腸の具合や嗜好の問題かと思っていましたが、そうでもない様子。美味しそうという以上に、プレッシャーを感じるというか...
近年これが顕著で、食べたいものかどうかよりも食べきれる量なのかどうかをまず考えているのです。外食では、運ばれてきた時点で思っていたよりボリュームがあると、あからさまにテンションが下がって迷惑そうな顔をしてしまいます。全然楽しめてない…だから最近は何となく外食の機会やご馳走を避けがちに。
それは食べ物を無駄にしてはいけないので、自分のキャパに見合わない量はいらないという氣持ちからで、それも嘘ではないのですが、どうもそれだけではなさそうな氣はしていました。
「胃袋はゴミ箱じゃないのだから、無理に詰め込む必要はない。残すことは悪いことではない」という意見。それも分かりますが、多分私の問題はそこではない。食欲旺盛だった頃でも残り物まで食べようと思ったことはないし、他人が残す分を咎めることもしません。つまり、単純に残すことが悪いと非難しているわけでもない。
これは単純に食べもののことだけでもないのかも疑惑勃発。。
たくさんの食べものを前にしたときに感じる、食べ切れなかったらどうしようという不安。喜ぶでもなく、楽しむでもなく、不安になるのは何故だろうと考えていると、自分の自信のなさに氣がつきました。これもずっと言われ続けていること。
自分のキャパに見合わない量ってw キャパって!!
元々の自己評価の低さもあるけど、自分で自分の枠(器)を小さくして、受け取り拒否をしている...これは私の癖で、仕事に対しても、幸せに対しても、お金に対しても、全部にこれをやってしまっているのです。これもずっと言われていたなぁ…
冬至の宣言 ↓
豊かさを分かち合うというテーマを考えたとき、物理的にもエネルギー的にもないものは分かち合えないし、分けるばかりでは枯渇してしまう。氣持ちよく循環させたいなら、まずは自分が素直に受けとること、自分を満たすことからだと思っていたのですが!!
迷惑そうな顔をするなんて、全然ありがたいと思っていない。そこが本音だったのよね。こういうの、本当に誤魔化しが効かなくなってきている...
なんと失礼かつ傲慢な。
大風呂敷拡げてみて狼狽えた理由はこれだったか…(^^;
そういえば喜んで食べていた頃って、今よりずっと色々循環していたかも。
そう思うと、滞っていると感じているこの現状は自分が創っているのか...
自信のなさは神頼みでどうにかなるものではないので、他力ではなく自分で何とかしなければ仕方がない。こればかりは行動と体験を重ねるしかないよね。
そうそう。パン焼きだってはじめは散々でしたが、何度も凹みながらでも繰り返すことで少しずつ自信がついて、少しずつレパートリーも増やせている。
before
こんな失敗もざらでした。笑
now
同じ材料・分量で。随分安定して焼けるようになってきました。
何ごとも繰り返しやっていくうちに自信がついて、キャパも拡がっていくものよね。
できるかできないではなく、やるかやらないか。