earthquake③
「厳しい人は嫌いではなく、むしろ好き」
先日、この台詞を声に出したとき、泣きそうになっている自分に氣がつきました。発した言葉は本心でしたが、それが頭でもない感情でもないところからの反応だというのが瞬時に分かったので、とても戸惑ったのを覚えています。
ここもきちんと向き合わないとなぁと思っていましたが、とてもシンプル。
私がそのときに思い浮かべていた先輩には愛がありました。
言い方もキツイし、内容も厳しいし、ついでに言えば顔もオーラも怖い方でしたが、少ない言葉と背中で仕事を教えてくれた人でした。20年近く看護師をしていましたが、心から尊敬し感謝しているのは一人だけです。
不器用で要領が悪くて悪目立ちしていた the落ちこぼれ だった私。6人いた同期の中で一番たくさん叱られていつもコテンパンでした。
ある夜勤の引継ぎでいくつものチューブや器械、点滴が繋がった重症患者さんの申し送りをしたとき、「見た目、大事にしないとな」と言われました。しばらく黙って観ていると「こうやっていっぱい繋がれて寝てるとさ、そこに意識がいきがちだけど、家族に見て欲しいのはそこじゃないやろう?だから見た目の印象が大事なんやで」ICUで働いていたため、事故防止のために身の回りのチューブ類の整理整頓はこれでもかと叩き込まれていましたし、整容も怠っていないつもりでしたが彼女の言わんとししていたのは「その人自身をみなさい」だと解しました。当たり前といえば当たり前なのですが、私自身もこのタイミングでなければこういう風には受けとらなかったと思います。彼女は私のこともよく見ていたのでしょう。とても心に響きました。
2年目だったか3年目だったか、少し彼女とも笑って話せるようになった頃、
「あんたが一番成長したと思うよ。他の子と同じ事をしても、目立つ分バレて一番叱られたし、大変やったと思うけど、要領よくすり抜けて来た子より信用できる」と言われたことがありました。この先輩に褒められる日が来るとは思っていなかったし、そんな風に思っていてくれたことにびっくりしましたが、すごくうれしかったことを覚えています。
楽しむことよりも苦難とか逆境得意分野とかほざいていましたが、実際に厳しさや理不尽に対する経験値はかなり高い自信があります。戦前か軍隊かと言われるような学校や病院でたたきあげられて育ったし、現場でも医者や看護師(ときに患者・家族も)の感情的な怒りや嫌がらせ(言葉の暴力)も多々受けてきました。まともに食らって凹んでも、仕事で見返せるようになってやろうと「今に見とけよ」と静かな闘志を燃やして、実際にやり遂げてきた...みたいな。笑
某ドラマみたいに「やられたらやり返す」ではなくて、歴然とした実力差で睨みを利かせて黙らせる手法です。嫌がらせをする人は実力もその程度ですから同じ土俵にはたたない。自分の価値を下げないこと、これ鉄則でした。
そんなことばかりしていたわけではないけど、仕事ではめちゃくちゃ男性性を発揮していましたね。。これエネルギーのロスがすごい。逆にしっかり女性性を使えたときはこちらも満たされるので、あまりロスはないのですが。
厳しさには愛があるけど、嫌がらせや暴力には愛はない。
ここは一緒ぐたにしたらあかん。
自分が後輩をみる立場になったとき、育ててくれた先輩の背中を思い出しながらそれは強く意識していましたが、自分が教わる立場のときは全部一緒ぐた引き受けてきていたし、何ならこれからもそうしようとしてたw
楽しむことよりも苦難とか逆境得…(略)
ほざけーいっ!!!
そうやって被虐的だから…(略)
パートナーシップがどうこう言える状態じゃなかったことに氣づけたのは良かったかな…
私の場合、苦難の方が経験値もあるので楽なのは事実です。古い癖で、未だに楽しいほうを選択するほうが未知の恐さがあるのです。(経験値が裏目にでるやつ。。)
自分への愛を忘れたらあかん...
意識の向け方が大事だけど、そもそも意識の在り処。。
私生活、仕事、学び。
この3つの中で、女性性と男性性のバランスが大事だなと感じたこともメモしておきます。特に女性性を生かせるかどうかがキーだと確信。