1年の振り返り⑤ミッション
少し心にゆとりができた11月の終わりから取り組んでいたのはこれ。
読書&占星術☆
きっかけはインドに住んでいる方がシェアされていた話でした。
「インドの神様は何故青色なのですか?」
とスワミジ(インドの霊的指導者・リーダー的な人)に尋ねたら、
「青は愛の色」
と言われたそうです。雲が拡がっても青い空は変わらず等しくそこにあるもの。それを条件に左右されないもの、エネルギーとしての不変の愛と捉えたのだろうということでした。 この話にえらく震えました。インドの精神性の高さよ。。
何となく青色を意識するようになると、目の前にたくさん青があることに氣がつきました。おもしろくて読み続けたい氣もちはあったけど、どうしても集中できなくてほったらかしだった本たちです。なんかね、ふむふむと読んでいても次の瞬間には指の間から零れ落ちる感じで進まなかったのですよ。
『マグダラの書』は読み直し始めたらスラスラ読めてしまいました。自分の中に入ってくるものが以前とは少し違っているようでした。氣になっていたキーワードがどんどん浮かんできて繋がっていくような感覚があり、他の本の内容やたまたま見かけた記事の内容ともリンクしていて、やってみたかったことを思い出しました。
それは自分で自分のホロスコープを読むこと。
自分のことを知りたい、俯瞰的な視点で。
冬至に向けて『風の時代』というワードをよく見かけるようになっていましたが、誰かの言うことを鵜呑みにして期待ばかりが膨らみ、浮き足立つ雰囲気に何となく違和感がありました。現状を否定して未来に期待するばかりというのは何か違うよね、と思ったとき、今一度自分の足元を確認したいと思うようになったのです。
占星術を習うならこの方と決めていた方のオンライン講座に申し込み、届いたテキストを開いてびっくり。
これは古代より伝わる、錬金術の基本奥義を記した一説です。
占星術に意識が向いた理由がここに集約されていました。西洋占星術の歴史は、2010年以降の自分の流れと、なぜパリだったのかという疑問が繋がっていくようでした。(情報過多で処理が追いつかないので、ここは一旦保留しました)
実際に星を読み始めてみるとめちゃくちゃ面白い。一見ネガティブなことが書かれているように思えても、宇宙視点?から見た解説がとても優しくて受け取り方が変わって楽になったり、全然ピンと来なくて不消化に感じていたことが、少し時間をおいてぼんやりしているときに急にハッとしてその意味を解することがあったり。水星・火星(好みの男性)・金星(恋愛傾向)の項では、まるっと私のことやん!!!と笑わせてもらいました。
一番ハッとしたのはキロンの項でした。キロンは魂の傷だけど、取り組むことで癒し手になれることで、今世だけではない魂のトラウマを示しているそうです。私のキロンがある場所の項には
自分なりの価値観を形成する幼少期に受けたトラウマがあり(中略)外国への強い抵抗感の場合も
と書かれていて、初めはあまりピンと来ず何のこっちゃ?と思っていたのですが、
これ、丸々あれですやん!!!!私の過去生!!!!
ええ、去年の冬のフランス旅ですわ。書きかけで止まっているけど、まさにここを癒すために旅に出たのです。
移民として異国にやってきた貧しい小さな女の子が、クリスマスにお母さんにおいしいものを食べさせてあげたくて教会を巡るけど、配られていた食事は目の前でなくなってしまいました。寒さと空腹のなか歩き疲れた女の子は...というストーリーのあれです。(※ストーリーはあるヒーラーさんのチャネリング)この辺はまだ全然書いてないけど。。
この魂を救うために旅に出たのに、“あの頃の私”が欲しかったものを前にしたとき、この期に及んで“こんなに大きくて高いものはもったいない”と諦めて別のものを買って誤魔化してしまいました。そうしたら、暗い夜にパリの街を彷徨いながらこのときの女の子のストーリーをきっちり再演。泣きながら「私はもうあの頃の小さな女の子ではない。今の私は欲しいものを手に入れることもできるし、与えることもできる」と氣づいたとき、急に現実が啓き、魂の記憶を上書きを完了することができたのです。去年の冬至の出来事でした。
やってることがホロスコープにまんま載っていて驚きました。これ以上ない答えあわせでした。
宇宙から与えられた使命という項には
愛を受け入れ誇り高く歓びを生きることを教えるのが今生の役割。他人の愛情を受け入れられず、自信を失った人々の中に愛と輝きを見出していく。そのためみずからが喜び楽しい時間の確保が重要。
愛を受け入れってw
一番できなくてもがいていたところです。散々受け取り拒否して生きてきたもんなあ。。そりゃあ、もがくはずだわ。
何度もいろんな人に言われてきたことでもありますが、昨年フランスに着いて一番初めにつぶやいた「私も楽しんでいいんだ」が、こんなに深いところから来ていた言葉だったとは...それに氣づいて教えてくれた人もすごいけど。
地球に来た目的という項には
(略)「もらう側」から「与える側」への移行が重要。
ええ、ええ。キロンの“魂のトラウマ”を癒した直後、道端に座り込んでいる女の人にパン屋さんでパンデピスというクリスマスに食べるパンを買って手渡していました。施しというと何か違う氣はしますが、何故かこの旅でやらなければならないことだと感じていたのに、それまで実行できていなかったことでした。“豊かさを分かちあいたいんだね”と言ってくれた人がいましたが、全部ホロスコープに書かれてたんかーい!!すごいな。
ホロスコープのことを魂のブループリントとか青写真という人もいますが、ここにも愛の色、青(*^^*) 本当によくできてる…
あの旅が私にとってものすごく大きなものだったのは感じていましたが、これほどのものだったとは驚きました。ただ過去生の癒すだけではなく、しっかりと魂の目的に沿ったもので、この地球で今世を生きていくための道しるべまでもがしっかり示されていたのです。1年を経てこういう形でこのタイミングで振り返り、氣づくことになるとは思いもしませんでした。
無意識でも宇宙の流れの中で生きていることがはっきり分かり、えらいもん見てもーたなあと思ったのが、ツォルキン最終週の出来事でした。
このこと(ツォルキン)も知らなくて意識していたわけではありませんが、バッチリはまっていて、しっかり1年を締めくって新しい年を迎える準備をしていたのだと思うと、本当に色々すごすぎる。
振り返ってみて改めて、私はたくさんの人に助けられながら生きていることに氣がつきました。自分ひとりではいつまで経っても抜け出せない暗く長い道も、誰かの力を借りると呆気ないくらいスムーズに抜け出せているのです。身体が辛いときは何度も“もう身体(肉体)いらない”と思うこともありましたが、これは肉体があったからこそ体験できたことなのです。私の身体よ、ほんっまにごめん!!!!!
長々と書きましたが、こうやって久々にブログを書いてみようと思ったのは、占星術も影響しています。社会的な顔・表現として『文章を書くこと、言葉を扱うこと』とあちらこちらに書かれていたのですが、ここは何度読んでもピンときていませんでした。苦手分野だし・・・と。でも少し時間をかけて思い出したのですが、子供の頃は文章を読んだり書いたりするのが好きだったのです。元々嫌いだったわけではないのかと自分でも驚きでしたが、実際に書いてみたら何となくそのことが分かりました。
完全に自己満足の世界ではあるけど、これは細々続けてみようかな。
ちなみに、“小さな貧しい女の子”が欲しかったのはシュトレンです。もしかしてスパイスたっぷりのパンデピスの方が実際に教会で配られていたのでイメージに近いのかもしれませんが、一昨年チャネリングを通して女の子の願いを知ったときはシュトレンを購入し、昨年はパリで彷徨い歩きながらパンデピスを購入しました。(購入を迷ったのは1万円超えの巨大なシュトレンでした)
今年はどうしようか迷っていましたが、スパイスをふんだんに入れたシュトレンを自分で作ってみました。フルーツとナッツもたくさん入れたリッチバージョン♪
もう小さな女の子の魂は癒されているので大丈夫だと思いましたが、あの頃はどうしても手に入れることができなかったけど、今は自分の手で作り出せるようになったんだよ、という体験するのもいいかなと思ったからです。
シュトレンはただいま寝かし中。
ちょっとつまみ食いはしたけど…
1年の振り返り④ ギフト☆
「やっぱり断ろうかな」と何度も思いながら決めきれず、面接の日になりました。
そうしたら朝からすこぶる調子が悪い。久々に胸が苦しくて酷く身体がだるく眩暈がしていました。氣のせいではないけど、氣の持ちようかもしれないし?当日にドタキャンはさすがにまずいと思い、スーツに身を包みました。
具合はどんどん悪くなり、このまま就職しても身体が持ちそうにないと確信がありましたが、面接自体は超ポーカーフェイスでこなしました。
お金は欲しいけど受かったら辞退かな。もしくは落としてくれ。誰か別の人が先に決まってくれ。
このあと数日悶えました。特に心臓が痛かった。面接結果は願ったとおりになりました。
これがちょうど11月はじめの出来事です。11月は生まれ月なのですが、そのとき私が呟いたのは、
やっぱり誕生日前にきたか。警戒してたんだけどなぁ。←え?笑
※去年は身体の声を無視して無理やり仕事に行き、誕生日翌日に心臓が止まりました。
ええ、この期に及んでまだ現実から目を背けようとしていました。認めたら負けだとまだそんなことを思っていたのです。
そして自分自身の波動がものすごく低くなっている自覚もあったので、人と関わるのを避けようとしていました。
誕生日前夜。私とヘンプエキスを繋いでくれた方が声をかけてくださって、急遽ZOOMで話をすることになりました。状況を伝えていたわけではなかったけど、何かを感じて時間を取ってくださったようでした。色々お見通しだったようで、話しているうちに体調不良の原因は私自身が作り出していることを認めざるを得なくなりました。
毎回パターンがあるのです。去年の出来事が良い例。
魂の声を無視すると、
身体が命がけで私に分からせようとするのです。
多少の痛みでは私が言うことを聞かなかったり氣づかなかったりするから、エスカレートして強制的にストップをかけられていたのです。
感覚的には知ってたと思って笑ってしまいました。笑いながら白旗を上げていた感じ。
でも自分の口で言った途端にすごく楽になったのです。
言葉では知っていたつもりだったけど、本音でしか生きられなくなっているということを身をもって体感しました。
この流れがエイプリルフールから始まっていたというのもよくできたお話で。笑 他人の嘘に氣を揉んでいる場合じゃねーわ!!※①参照
飴をくれていたうちに氣づけば良かったのにねえ。。と思ったけど、もう一発鞭打たなきゃあかんっぽいから先に飴(エネルギー)をくれたのかな。もうひとふん張りせーよ!的な感じで。これも愛、きっと愛...
あれだけ何度も自分が現実を創造しているとか言って、すっかり分かったつもりでいたけど、自分のことには氣づかないものです。辛いと思っていた現実も実はしっかり自分で作っていたのだから。
このシリーズ①で散々バカバカ言っていましたが、あの怒りは本当は自分自身に向けたものだったのです。目の前の人が自分の鏡というけれど正にそれでした。
そして、このストーリーの要です。本当は必要がないのに続けてしまっていることに氣づいてやめてみたという彼女の話を聞いて、私にとってのそれは何だろうと考えました。考えたというより、しっかり自分の感覚を研ぎ澄ませて確認したという方がしっくり来るかもしれません。答えはもうすでに出ていました。
私、はっきり言ってましたよね。看護師辞めてしまえって。笑
もう何年も前から看護師の仕事はもう終わりだと感じていました。嫌になったというより、看護師という枠の中で私ができることはやりきった、もうないという感じ。それでも生きていくためにはお金が必要だからと、自分の感覚を押し殺して割り切ったふりをして細々と続けていましたが、もう誤魔化しは通用しなくなりました。
仕事に関するメールや連絡先を削除したら、めちゃくちゃすっきり(*^^*)
生きるために仕事をやめる。
ひとつ年を重ねる直前ギリギリのタイミングでの決断でした。
人と関わるとマズイことばかり氣づいちゃいます(*^^*)
1年の振り返り③ 飴と鞭
仕事を辞めて熊野旅をした後、夏頃の記憶はほぼありません。
身体中が痛くて起き上がれなくなったり、胸の痛みと息苦しさで悶えて眠れなかったり、起きてトイレに行くだけで息も絶え絶え。真夏にカイロを貼って寒さをしのいでいたこともありました。 そうしていると左足裏にびっしり水疱ができるようになり、痛みで歩くのも困難になったり。足裏をヒーリングすると「かなしい」という言葉が浮かんでいたけど、どうしてあげたらよいのか分からない... そんな状態が数ヶ月続きました。
体感的に何度か三途の川を渡りかけたこともあったようだけど、渡りきることはなく、かといって休んでいても回復の兆しがなく途方に暮れていました。
10月に入ってから氣になっていたヘンプエッセンスを使うようになりましたが、眠くなるけど眠れない状態ばかりが続き、効果があるのかどうかよく分からないと思っていましたが、あるとき私、眠りたくなくて抵抗してるのかも…ということに氣がつきました。
何故眠りたくないのかを感じてみると「目覚めたくない」そうです。
思わず他人事のようになりましたが、ああ、分かるうううう!!! 知ってるw という感覚でした。自分でそこから先に進む術はあったのでしょうが、そっと蓋をして一旦見ないようにしました。
何故ならこの時点ですでに無職になって約5ヶ月。
そろそろ経済が破綻するから。
そこを見ちゃったら再就職はできないということが分かっていたから、見てはいけなかったのです。
「体調は随分楽にはなってきたし、あともう少しだけお願いします」
諦め悪く何とか自分を丸め込もうとしていました。派遣会社を通して1つ面接予定が決まりそうになっていた頃でした。何となく担当のオペレーターと話が噛み合わなくて悶々とすることが多かったけど、微妙な違和感や心の声は見て見ぬふりしていました。
文字に書き起こすと如何に自分をおろそかにしていたのかがよく分かる...(合掌)
10月21日 一粒万倍と何だか忘れたけどすごい吉日だったらしい日。その日は久しぶりに遠出をして久しぶりの方と再会をしました。その頃、お相手の方は大変な時期。私は関わらない方が良いと思っていたのでずっと躊躇っていましたが、何となく「今だ!!」と思って会いに行ったのです。
何が今なのかはっきりしなかったけど、今このタイミングで私が動かなければ現実が動かないという確信だけが原動力でした。
いまだかつてないほどスムーズにそこに辿り着く直前、1本の電話がありました。派遣会社から面接の日程が決まったという知らせでした。「はて?動かしたかった現実はこれだったのだろうか?」と思いながら、浮かない声のまま承諾してしまいました。
伝達ミスで結果的に突撃訪問になってしまいましたが、優しく迎えていただき色々話をするなかで、その日がその方にとってとても大切な日だというのが分かりました。上手くいく予感しかなくて、実際に上手くいきました。
私が何かしたわけではなかったけど、私がずっと抱えていた「私は汚い」「私は人を不幸にするから関わらない方がよい」という思い(呪い?)がバレバレだったそうで、彼女の「そんなことないよ。こんないい知らせを運んできてくれた」という言葉と、幸せな瞬間に立ち会うことで、その日は不幸な思い込みを1つ手放すことができました。
そして、随分前に自分自身の恐怖心から絶ってしまっていた別の方とも再会しました。一方的に失礼な態度を取ったにも関わらず、ずっと氣にかけていて下さったことを知り、自分が思いのほか優しい世界で生かされていたことに氣づかされました。
優しい展開にほんわかしたところで、この後はきっちり本題と向き合う展開になります。こうやって見ると飴と鞭の使い分けがすばらしいw
1年の振り返り② 破壊も再生も
世の中の流れにしっかり飲み込まれ、否応なくコロナというワードが私の中にも刻み込まれてスタートした一年。
振り返っていたら、ある一点をよーく観察していたことに氣がつきました。
意識の向け方で現実が変わる。
現実を創造しているのは自分自身である。
そういえば、去年のフランス旅でも散々検証していたことです。
私が2週間の休業から復帰したら、職場の状況は一変していました。高齢者ばかりが入居しているので体調を崩す方がいるのは不思議ではないけど、受診や入院、それに至らずとも点滴や投薬の追加等で経過観察を必要とする方が異常に多い。通常業務が全く出来ない忙しさで、9時に出勤して0時を超えた上に夜間電話対応、朝方に呼び出されるようなことが頻発して皆が疲労困憊していたのです。元々無理のある人員配置だったけど、それだけではないと直ぐに氣がつきました。
スタッフ間の空氣がおかしい…
コロナ騒動で休んでいたナース(Aさん)と他の2人のナース(Bさん・Cさん)の間が変で、心なしか医務室の中も雑然としていました。関係悪化はコロナ騒動が直接原因ではないようでしたが、あれからも色々あったらしく、彼女たちの信頼関係が崩壊していたのです。仕事は仕事としてやっているし、陰口や悪口を言わないというルールは守られていましたが、Aさんがいるときといないときでは医務室の雰囲氣ばかりか、入居者の様子も落ち着いているのです。
この多忙を極めた状態はAさんが復帰した頃からで、収束まで1ヶ月以上かかりました。急性期病院でもこんなに続くことはありません。収束したのはAさんが再び休職した頃でした。Aさんはときどき私に他の2人への不満を漏らしていましたが、内容はあまり覚えていません。休職の原因も諸説あり本当のところは分かりませんが、彼女が早退する日の朝に私の身体がキャッチした症状があったので、実際に身体に影響は出ていたのだとは思います。
BさんとCさん、どちらと働くかでも状況は違いました。
2人とも知識が豊富で的確な判断・行動ができ、人間的にも尊敬できる人ではありましたが、Bさんは生真面目で何でも自分でしなければ氣が済まずひとりで抱えこもうとする人、Cさんは仕事には厳しかったけどおおらかに構えて全体を見渡しながら臨機応変に采配ができる人でした。
忙しくなる確率が高いのは明らかにBさん。本人は無自覚で悪氣がないけど、他人(自分)を信用していないのだろうというのが感じられました。これはおそらく彼女自身がそのことに氣づかない限り変わりません。この辺りは私自身が何度も体験済み。
あと食事の影響も侮れない。コンビニ弁当や惣菜・菓子ばかり食べていたようですが、それぞれの娘さんが里帰りして夕食を作って待っていてくれたり、弁当を持参するようになると明らかに彼女たちの顔つきが変わりました。多忙を極めた時期の収束はこの時期とも重なっているのです。この辺りも身に覚えあり。笑 食べたものが人を作っているというのは本当です。
良いとか悪いではなく、環境を作っているのが自分自身なのだということを再認識できた期間でした。
ええ、
自分自身が現実を創っているのですよ!!
オンタイムでの氣づきはここまで。
いつまでたっても自分のことはなかなか分からないもので。。
この後数ヶ月かけて命を削りながら、そのことに氣づいていきます。
1年の振り返り① パンデミック
西暦2020年はあともう少しだけど、昨日(12月14日)でツォルキン260日が終了。
今日は新月with 部分日食で、既に切り替わった感満載。
6月以降のかなり濃い日々は書き残す間もなく流れてしまって、すでに記憶を失いつつあるけど、前回の新月から1ヶ月、特に直近2週間が濃い日々だったので自分のためにメモしておきます。
ツォルキンの大晦日だった昨日は、会いたい人に会いに行ったりシェア会に参加したり、自然と1年を振り返る流れになりよく喋った1日だったので、2020年3月30日(ツォルキン1日目)からスタートします。
その頃は特別養護老人ホームで看護師の仕事をしていました。
施設長や事務長とは…でしたが、同僚の看護師や介護士・相談員は今までみて来たどこよりも、人間としても職業人としても真っ当で働きやすい環境でした。が、小さな違和感はいくつもあり、コロナ旋風により少しずつそれは明確になっていきました。
今思えばこれは予兆だったのかな。4月1日に出勤してきたスタッフが「私コロナかもしれません。どうしましょう」と言い出しました。
結果から言うとこれは仮病。仕事に来づらくて休む口実を探していた様子。症状らしきものは殆どなかったものの、一度その言葉を口にした以上、本人も引くことはできず職場も放置はできない。かと言って検査を受けられるわけではなく、スタッフは自宅待機という形になりました。
それから1週間後の珍しく穏やかだったその日。
コロナ対策と称して手が空いた隙に掃除をすることになり、渡された消毒液を手に掃除を始めたのですが、これが引き金でした。
「これ次亜塩素酸(ハイター)ですよね?これで部屋中掃除...ですか?」
ヤベぇぞコレ。きつ過ぎる。。死ぬ。。
そもそも薄めたらあかんやつだけど、聞いたら結構濃いめ、しかも目分量で希釈ってw
こっそり水だけにしたろか、とも思ったけど無臭だとすり替えがバレル。
頭の中で警鐘はなっていましたが、これがルールならば仕方がないと諦めて掃除を開始。せめてもと思い換気しながら、手袋・マスク着用でやったけど苦痛でしかない。しばらくするとうっすら目や身体が怠くなり、仕事が終わるころには唇と手が酷く荒れて皮が剥け始め、夜には喉が痛くなり微熱と倦怠感が。。
これ、今一番あかんやつやん。。
症状だけ見たら立派な風邪ですからね。
冷静に判断するなら問題はないけど、お国が提示したコロナ疑いでの受診相談基準にすら達していなかったので陰性確認目的での検査は不可。でも喉をやられて咳が出て声も掠れていたので、仕事的に何かあれば疑惑の矛先(下手すれば訴訟問題)になりかねない状況。無給は辛かったけど自分を守るためにも休むしか選択肢はなかった。
まあ、これがなくとも体力的にもそろそろきつくなっていたので、ぼちぼち休みどきだったのでちょうど良かったのかもしれないけど。
国は仕事復帰の基準は示していなかったけど、仮で2週間の休業が決定。これが大阪や兵庫に移動の自粛要請が出た4月8日の出来事でした。
しっかり休むと身体の回復は早いもので1週間もすると全快。休業中の職場や派遣会社とのやり取りで復帰を確定することになっていたけど、これが揉めました。
事務長「PCRの検査をしてください」
え?バカなん!?バカなんかっ!?(※心のボイス)
私「いやいや、初期段階ですら受診相談基準に達していなかったのに、症状が消えてから陰性確認目的で検査なんて尚更受けられませんよ」
国の示す基準や行政の方針と現行のシステムを説明しながら伝える努力はしたけど、ヒステリックで聞く耳を持たない。
事務長「施設で何かあったら全てあなたに責任ですから!!!」
ホンマもんのバカやでこれ(※心のボイス)
私「だから指示通り休んでいるのですが。分かりました。そこまで言われるなら病院受診はします。この時期に敢えて不要・不急のものが病院を訪ね歩くというのはわざわざ感染しにいくようなもの。非常に馬鹿げたことです。これにより私が陽性者と接触して感染した場合、私はあなたに対して責任を問います」
売り言葉に買い言葉。バカって言うてもてるし 笑。
腹立ちついでに派遣会社から休業補償について施設に確認してもらったら、
施設長(経営者)「休業補償?元気になってるなら今日からでも来てもらって良かったのに。明日から来たら?」
よーわかった。
アホしかおらんのやな。やってられん。
※補償は元々期待してなかったけど、試しました ♪←
色々な情報が迷走・錯綜しており、
そもそもコロナって何?
根本的な問題は何?
このバカ騒ぎ、本当は何が起こっているの?
という状況。私自身もマスコミやネットが伝える情報の真偽を量りかねていましたが、闇雲に怖がって逃げてばかりで、自分で調べることもせず思考を放棄して責任丸投げする姿勢に呆れ、こういう世界(こういう人の下)に居たくないと強く思いました。
受診はぶちぎれながら近くの医院に行ったら門前払いだったので、施設の往診医を受診しました。そうしたらもう一発きたw
車内で待機していたら見慣れた年配のナースが問診表を見ながら
ナース「で、どこか受診したんですか?」
私「はい?受診以前に行政に電話相談をする基準も満たしていなかったので自宅待機していましたが?」
何言うとるねん。そこ(問診表)に時系列で細かく書いてるでしょうが。(※心のボイス)
ナース「それは病院じゃなくて、あなたの自己判断でしょう?」
私「自己判断ですよ。そのための基準でしょう」
え?バカかっ!!!現場の看護師が分かってないってマジか!!!もう看護師なんてやめてしまえ!!!(※心のボイス)
ドクターの見立ては
「おっしゃるとおり検査ができないのでコロナではないという診断はできませんが、99%大丈夫だと思います」
というお話だったので、一旦職場復帰。
その後、契約満了をもってその職場は退職しました。
すぐにまた働こうかと思っていましたが、復帰してからも(風邪ではない症状ありで)体調は万全ではなく、何も決めずにそのまましばらく休むことにしました。
※「バカ」を連呼しておりますが、これから全て自分に返ってきます。笑
長くなるので分けます。
熊野たび④
2020.6.7
新月までに書き終わるつもりが終わらんかったw
この日もスタートは『大斎原』から。
めちゃくちゃ天氣がよい(*^^*)
風が優しくて、みどりがきらきら…
自然って優しいなぁ、美しいんだなぁと改めて氣づいて胸がいっぱいになる。微かな風の変化や木々のざわめきに耳を傾けられる自分で在りたいな。
この後の予定は決めかねていたけど、
熊野三山に詣でる氣が全然しない。いや、正確には躊躇している。
そもそも一番近くの本宮に行ってないのだけど、それは2年前に行ってるし、何となく氣が向かなくて(^^;
今回はその続きかなという印象はあるのだけど
遠いんよね…特に那智。しんどすぎる…
でも…何となく車のエンジン掛けたらこちらを設定していました。
『熊野速玉大社』
駐車場に着いて氣配に氣づいて振り返ったら、またまた日輪。まぁ、善し!!ってことかな。笑
御朱印をいただきに行ったら、神倉神社の御朱が目に入った。
避けようとしてたのに。。
まぁ速玉さんに来るときも何回も目に入ってたんやけどね、登るのしんどそうですやん?
火祭りの存在を知ってから興味はあったんだけどねぇ…
ちょこっとだけ寄り道のつもりで『神倉神社』
見上げたり(休んだり)
見上げたり(休んだり)
見下ろしたり(休んだり)
登る氣のない足元再び。
滑り止めがないから登りよりも下りが危なかった…滑落の危険あり。
ほーら、やっぱりちょっとじゃ済まん…涙
いい眺め~♪
ちょうど正午くらい。
こんなところを松明持って走り下りてくるだと?正氣じゃねぇだろ。死ぬわ!!命懸けか!!
やっぱり文句ばかり言いながらだったけど、風や木々のみどりがすごく優しくて、まばゆい光がいっぱいで、岩も好みで。来てよかったかな。
また来いって言われたら、また躊躇するだろうけど 笑
帰りに少しお水を頂いて帰りました。
木漏れ日の揺らぎが綺麗で惚れ惚れ。
立ち寄らずだけど、ここもすぐ側に出雲教会があるのね。要所要所押さえてるなぁ。
(続く)
熊野たび③
玉置神社~花窟神社を検索すると来た道とは別のルートをご指定。 奈良県側から本宮に戻って、そこから再度169号線に入るルート。
めっちゃ回り道…
あまり氣は進まなかったけど、時間的にはあまり変わらなさそうだったし、来た道よりは快適そうだったので従うことに。
見覚えのある景色を過ぎて、朝ナビがバグった辺りへ。めちゃくちゃ注意して“ここでしょ?違う?”と減速していたのに、やはりトンネルに入ってからバグった。
何でやねんっ!!
で、再び『玉置口』のトンネル→『←玉置神社』の表示w
もうええっちゅうねん( ̄^ ̄)
どんだけかわいがられてるねん…
じいちゃんよ…ありがたいけど、そう何回も無理やて。今回は行かんで!!
しばらく走っていくつかトンネルを越えて脇道に逸れた。
どこやねん、ここ…
当初の設定から随分コースアウトしていて、よく分からない山の中や崖っぷちばかりで到着時間も押しまくる。。しんど…
この日の運転ルートは大体こんな感じ↓
+花窟神社→湯の峰温泉→宿も入れたら+1時間半くらいは運転してるかな。長…
途中見かけて覚えているのは、北山村とか赤倉神社とか。赤倉神社はこちら↓
https://www.mikumano.net/meguri/akagura.html
なかなか来れる場所ではないので惜しい氣もしたけど、通りすがりに挨拶だけしてスルー。わざわざ通らされてた感があったので後でググってみて納得。。なんか大事そうな場所だ。(好みの盤がある←)
何とか『花窟神社(はなのいわや)』に到着。
思いの外、街中に突如出現した観光地的な場所だと思ったけど、参道から空氣が変わる。
ここを訪れようと思ったきっかけはこちら↓
写真が暗い…雨が降る直前の夕方だから仕方ないけど(^^;
御縄掛神事というのがあるらしい。
http://www.hananoiwaya.jp/festival.html
冬に訪れた南フランスにあるムスティエ・サントマリーという場所。見えにくいけど岩山を繋ぐ星があります。何となくこことイメージが重なる感じがして。
https://gotrip.jp/2016/10/46278/
“十字軍遠征から帰還した騎士が、無事に帰って来られたことへの感謝を表すために捧げた”ものだそうですが
うーん…(ーー;
たぶん、これはちょっと違う感じかな。御縄掛神事は神様が縄を介して神と人を繋ぐ…こちらの方がまだしっくり来るけど、それもどうなんだろね。。遠からず近からず?
そして実際に来てみると思ったほど似てないかも。どちらかというと辿り着けなかったあの場所に似てるというか、繋がってる感じ。
イザナミのお墓…?
カグツチのお墓…? どちらかというとシヴァ・リンガっぽい。
なんでどちらも“お墓”という設定なんだろね。
よく分からないことばかりだけど、い・わ(岩・盤・盤座・窟)と共に在る信仰とか花溢れる場所というのはどちらにも共通している。
私はここは女性的な祈りの場と感じたのだけど。
この岩肌の感じ、懐かしいを含んだ「好き」だなぁ。静かに佇んでいると近くの海の波音が心地よい…
もう紫陽花が咲いてるのかぁ…
この薄いラベンダー色も好きだなぁ。
昨日と明日のトップスもこんな色(*^^*)
『産田神社』の御朱印に氣がついて尋ねてみると近くにあるよう。途中で表示を見かけて、氣になっていた場所だと思い出してうかがってみた。
『産田神社』
イザナミがカグツチを産んだ場所だから産田神社、らしい。うーん…
そういえば、どちらの神社も玉砂利の上は土足禁止だったのは印象的。そりゃそうか…とも思うけど、日本の神社でそれを求めているのは珍しいなと。ちょっとインドのお寺を思い出したりして。
そうそう。シヴァはパールヴァティ(嫁)が沐浴した際の垢を捏ねて作った我が子を嫉妬でズダズタにして殺しちゃうのよね。で、嘆き悲しんだパールヴァティは我が子の身体をかき集めてひっつけたけど、頭の部分が足りなくて象の頭をくっつけたから、ガネーシャが生まれた。
イザナギはカグツチを産むときにホトを火傷してイザナミが亡くなったのを悲しんでカグツチを殺す。ストーリー的には似てる。
一見、どちらも子どもよりも奥さんloveなんだけど、神様のくせに随分と短絡的な…
ホトを焼いて(突き刺して)亡くなって黄泉の国へ行き…というストーリーもなんだかね。。それを何の疑問もなく信じ込まされていること自体意図があるよね。
想像・想念が世界を作る、つまり創造しちゃいますからね。めっちゃ呪術的。。なんでそんなことする(させる)んだろーね…
徒然もなくまたそんなことを考えてしまう。。
因みに…どうしてもナビがバグった場所。
帰りに氣がついたけど、バグるより随分手前を右折しないといけなかったようです。帰りはめちゃくちゃスムーズでした。
買いたかったパン屋さんが売り切れていたのと機を逃したので、晩ごはんは昼に買っためはり寿司の残りとカップ麺と温泉卵。寂…
元々飲食店が多い場所ではないけど、コロナの影響で営業を自粛していて、開いていてもテイクアウトのみで16時や17時には閉まってたり、売り切れていたらもっと早くに閉まっていたりだったのです。
そもそも卵がそんなに好きではないので、温泉卵の良さがよく分からない←