熊野たび①
2020.6.5~6.7
4日が金星の軌道が完成する日…だっけ?(うる覚えw)6日は早朝に月蝕とストロベリームーン(満月)が重なる日だったそうです。
空も何だか騒がしいねんなぁ。
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天体云々はよく分からないけど、何かしら影響を受けているのは体感的に分かるので一応メモ。5月最後の週から酷い目眩や全身の痛み、心筋梗塞みたいなシンゾーと背中の痛みと、なかなか激しかったのは私だけではないはず。
1か月程前から『クマノ』のイメージと日程が何度も何度もちらついていました。
熊野かぁ…遠いな。。
ちょうど5月末で職場との契約が切れたタイミング。とても働きやすい人・環境だったので少し惜しかったけど、体調的には潮時だなぁという感覚があったのと、この日程での熊野行きのイメージが固まっていたので、そのまま休養期間へ。
コロナでステイホーム!の動きの中、外に出て働いて、自粛要請解除と共に籠る(隠る)…実に私らしい 笑。
さて…『クマノ』と言っても一体どこに行けばよいのか…
そもそも、何故熊野?
神社巡りとかあまり氣のりしないのですが…
スマホをいじって情報収集をしてみるけど、情報過多になるだけで欲しいものはそこにはなく。。
とりあえず動く!!
それだけ決めたら、ある写真が目に入った。
冬にフランスで訪れた場所を創起させたその場所は、いつの頃からかずっと意識に上っていた場所。
ここだ…
他に氣になる場所もあったけど、とりあえずここだけを目標にして後は流れに任せることにして出かけることにした。
体調を考慮して一日目は移動のみ!!と決めて、熊野本宮大社近くの宿へ。
車を降りて氣配を感じて振りかえると大きな日輪。なかなかの歓待ぶり。善きよき~♪
熊野(クマ・ノ)
地名の由来は諸説あるけど、熊=神の意で「神宿る・深い山」というのが今のところ一番すんなり。アイヌでは熊を神様としているらしいし、東北(蝦夷)にも何となく通ずるものがあるのかなというイメージ。
【メモ】
今回の私のルートは大体こんな感じ。
四天王寺から千早赤阪をかすめて峠を越えながら五條市へ入り、天河さんを横目に十津川村(大塔)へ入り、玉置さんと谷瀬の吊り橋をスルーして熊野本宮へ。
2年前と似ているけど微妙に違うルート。より南朝の氣配が濃く残る足跡を辿る感じ。
南北朝時代直前の熊野行幸もこのルートだっけ?700年以上前にこんなに険しい道を通ってわざわざ熊野に行く理由って何だったんだろう?それ以前には平清盛も熊野に詣でているし、江戸時代にはわざわざ徳川(松平)家が紀州を直々に押さえているのも理由があるのだろうなとか、都や伊勢と熊野の位置関係も氣になるなぁ、あれ?吉野に南朝を建てたのも意味ありげだな、そもそも歴代の天皇って争いばかりしてるのに祭祀してる暇あったのかしら?靈力があったなら何故…等々。長時間ひとりで運転していると取りとめなく。情報過多やね 笑
敢えて分かりづらくなるように色々と重ね塗りされているのが歴史というやつ。全てが虚ではなく所々に散りばめられている事実があり、その欠片を見つけることは宝探しのようで、歴史を学ぶとしたらそこに魅力があるのだろう。でも真実は幾通りもある。どの立ち位置から見るかで変わってくるのだ。
知ろうとすればするほど大切なことからは遠ざけられるようになっている、それが歴史のからくり。
私が知りたい(思い出したい?)のは、そのすべてを取り払った先にあるもの、そんな感じ。
夜は湯の峰温泉で坪湯へ。
めちゃくちゃ温まった。
長時間の運転疲れに温泉でトドメ。眠れないはずがないシチュエーションなのに全然眠れなかった夜。
満月と月蝕が4時頃。その位まで眠れそうにないなぁと諦めてスマホいじりしていたけど、やたら身体が冷える。特に脚。不快ではないけど寒いというより冷たい感じが氣にかかった。ある方に言われて氣づいたけど、もしや来てはったのかな…