lumière d’espoir 

旅は生活の一部。“息をするように旅をする”そんな風に生きて行きたいのです◎

「私、幸せになります」

2020.3.16 下弦の月

 

2か月ぶりのYプロデューサーのセッション。

 

セッション前、私自身のエネルギーが随分軽くなって、「波動が変わって、次元も上がったみたい」と言われた。

 

そーなんや…

いつもながら私自身が一番分かってない 笑。でも素直に嬉しいと思った。身体も今までのようにガチガチではないらしく、エネルギーの変化がしっかり身体にも反映しているそうだ。

 

セッションが終わってから、前回のセッション時に初めてお会いしたMさんとケーキを食べながらたくさんお喋り。今まで話すのを躊躇っていたような話を、思いの外サラサラ~っと話す場面がいくつかあって、そのことにとても驚いた。

以前は、非難されることが怖くて言い出すのにとても勇氣が要ったのが嘘のよう。

ようやく自分自身を責めたり、否定することを止めることができ、人を信じられるようになったらしい。なんと幸せな…

 

 

 

軽くなった身体で余韻に浸りながら車を運転していたら、唐突に昨年の秋のことを思い出して、雷に撃たれたような衝撃が走った。

 

その頃の職場は自宅から車で1~1.5時間掛かる場所にあった。通勤経路の大半が山道ばかり。通勤する度に動物の死骸を目にしていたのだ。

 

通勤時間帯は車の量が多い道だけど、街頭がなく夜になると真っ暗。みなさん、かなりスピードを出すので、車に轢かれたのだろうけどあまりにも多かった。

 

彼らの側を通るたび、

「ごめんなさい、ごめんなさい…」

泣きそうになりながら叫んでいた。いつも怯えながらその道を通っていた。

 

あの頃はそれは人間が彼らの命を奪ってしまったことへの申し訳なさや謝罪だと思っていたけど、違う…

 

あれ(轢かれた動物たち)は私自身だったんだ… 何で氣がつかなかったんだろ。

だって、私が死んで黄泉がえってからは誰も轢かれてない。。

 

去年の誕生日(秋)辺りがヤバそうという予感は少し前からあった。実際に全身全靈のエマージェンシー・サインを無視して無理やり仕事に行った日、身体から抜け出して三途の川の手前まで行ってしまったのだ。無邪氣な私の靈は大好きな人の元に遊びに行ったらしく(本人は身体から離れた瞬間は分かったけど、靈の動向までは自覚なし)、彼女に救われて今がある。その後、しばらく仕事を休んでから、ピタリと轢かれた動物たちを見ることがなくなっていた。

 

あれは偶然なんかじゃない…

 

轢かれて死んでいる動物たちの姿は、外側の世界で起こっていることではなかったのだ。 

 

“このままでは(=私は)死んでしまう”

“このままじゃ、あなた(=私)はああなっちゃう”

 

“こわい”の本質は自分自身の肉体的な死への恐怖だったのだ。

 

 

 

彼らが死んだのは私のせいやん。。

だから「ごめんなさい」やったんか…汗

 

人間としての謝罪ではなく、私がそもそもの原因だと、“私”自身は分かっていたのだ。

 

ヤバイ…私はいくつの命を巻き添えにしたんやろ。私はとんでもないことをしてしまったのかも…

氣づいたときはショックだった。

 

大変なことをしてしまった。どーしよ。。いや、死んでしまったらどうしようもないんやけど、どーしよ。私はどうしたらいい?

しばらく、グルグル考え続けた。

 

唐突に何を…と思われるかもしれないけど、

私自身の在り方が世界を創造している。

そのことをこの数ヶ月、みっちり体験してきたのだ。

 

フランス旅でもその繰り返しだった。

自分(私)の意識がこの世界を創造している。私たち一人一人がこの世界の創造主なのよって。

   

 

 

この出来事の本質は何なのか。

少し冷静になると、巻き添えにしてしまった命に詫びたり、罪悪感を抱いたりすることが目的ではないと感じた。

 

 

 

 

私の在り方…?

 

 

 

 

「私が幸せでなければならない」

 

これだ…

創造主である私が幸せでないのに、世界が幸せであるはずがないのだ。

 

私が死んだら、世界も死ぬのだよ。

私が笑わなきゃ、世界は笑わないのだよ。

世界ってそういうものだ。

 

たっっかい授業料を払って、フランスで味わい尽くしたあれよアレやソレやコレよっw(略)

 

私が幸せであれば、世界も幸せになるのだ。

私はこの世界に対して、幸せである責任があるのだ。

 

 

私が幸せになると宣言すること。

これが今生の私の使命だったのだ。

 

めっちゃシンプル…

 

シンプルだけど、これが私にとっては一番難しかったのだ(^^; 長いこと“私は幸せになれなくてもいい”とか、言って逃げてたもので…(遠い目)

 

 

 

そういえば、ずっと言われていた。

「幸せになりなさい」

「be happy」

 

こういうことだったのね。

やっと氣づいた。やっと府に落ちた。

 

「私、幸せになります」

宣言したらめちゃくちゃ幸せな氣もちが溢れてきて、すでに十分幸せなのだと氣がついて震えた。

 

「ヤバイ、めちゃくちゃ幸せやん私…」

 

車を運転しながら、随分昔に買ったGLAYのCDを聴きながら泣いたよね。笑  

 

 

泣きながら色んなことを思い出して、更にまた色々浄化されてしまった。それは割愛するけど 笑

 

めっちゃAWAKEしちゃった(*^^*)